震災支援ネットワーク東海

震災支援ネットワーク東海の活動報告、情報の共有化を図るために更新中

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物資が集まってきています

生活用品セットに関して、みなさまのあたたかいご支援により順調なスタートとなっております。
先日名古屋で行われた、四十九日の法要でも声かけさせていただき、支援金もいただきました。ありがたいことです。

生活用品セットは、仮設住宅の建設の進行状況に応じて、5/9、5/16、5/30日までに現地に到着させます。配送の日程もありますので、各地域の連絡員にお問い合わせいただき、所定の期日に間に合うようよろしくおねがいいたします。
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生活用品セットについて

生活用品セットについての問い合わせが続いています。わかりやすいweb版があれば、正確に伝えられるのにとの声を聞きましたので、こちらにアップさせていただきます。
 

物資提供お願い

本来PDFを貼りたかったのですが、申訳ありません。詳細は後日アップします。

事務局日記は個人の日記とします

 4月24日までは、事務局・松野尾が個人で活動したボランティアの様子を、活動報告にカテゴライズしてきましたが、あくまで個人の活動で、震災支援ネット東海の活動としていったわけではありません。(そもそも発足前ですし)
 内容も個人の主観が多いに反映されています。活動報告とするにはいささか偏り過ぎています。
 ブログ自体もそこまで公式見解ばかりのものとはいえないないようですが、これまでの活動報告は、事務局日記に配置替えさせていただきました。

服装について

 これまでで現地に行こうと考えられる方もいらっしゃるかもしれません。また私自身の覚書も兼ねて、服装についてです。
 
 服装についてですが、活動内容によって当然変わってきます。
 
 津波による被害にあわれた地域のがれき撤去などは万全の体制で臨むべきでしょう。濡れることが予想されるため、アウターは撥水性のあるもの(私はバイク用のカッパを着ました)長靴は必須。手袋も完全防水のゴム手袋など、またガラスなどには皮手袋がいいでしょう。落下物から頭を守るヘルメットやこれからはゴーグルも欲しくなりそうです。またこれから暑くなりますが、長袖が基本と考えたほうがいいでしょう。通気性の良いものがおすすめです。マスクは防塵マスクと普通のマスクがあればベストです。現地は海に近く強風により埃が舞います。その埃にもどんな物質が付着しているかわかりません。また場所によっては臭いがきついケースも考えられます。
 
 物資の搬送や炊き出しなどでは動きやすい格好がいいですが、足元は安全靴や登山靴などしっかりしたものが安心です。直射日光の下では暑くなってくるので、帽子もあったほうがよいと思います。

 また遺体安置所には布袍着用のうえで、私は白衣も着て雪駄で行きました。予定になくても対応できるよう、車に常備できるなら置いておいたほうが対応できます。

  いろんなことを書きましたが、なるべく万全な格好で行くのがいいと思われます。なぜなら作業効率が変わってきます。たとえば普通の軍手でヘドロまみれの段ボールを持つのは、どうしても躊躇してしまい効率が上がりません。危険を避けるだけでなく、快適に活動する上でも大切なことだろうと思います。

石巻・千人風呂プロジェクト2日目

 最終日なので夜まではいられないが、急きょ参加させてもらうことに。午前中から下着類の整理やシャンプーの詰め替えなどをする。隣りでは地元の自治会(?)の方がさんまを焼いて配っている。呼び込みを聞いていると、すぐ近くの小学校の大行列が石原プロモーションの炊き出しによるものとわかる。来るときに横を通った際に規模の大きさに驚いたが、まさか石原軍団だったとは。

 この規模はなかなかできない。しかし難しいのはこれで石巻は大丈夫と思われてしまうこと。石原軍団も滞在期間は1週間ほどである。もちろんすごいことだが、その一面だけとらえて今後の支援が手薄になってしまってはいけない。千人風呂も最低一カ月は続けるが、GW明けのボランティアの数が心配とのことだった。

 私たちもこれで帰ってしまうし、ボランティアセンターが心配になる。

 大阪教区のみなさんも称報寺さまを見ておいたほうがいいということで、物資搬送の際に同行。うちの一人、高田さんは弟がすでに称報寺さまにて活動されたとのこと。事前に写真や情報は知っていたはずだが、現地に行くとやはり衝撃を受けた様子。写真を撮りながら、ほんとは写真を撮るのも気が引ける。けれども写真や言葉がないと自教区のみんなには伝わらない。だからカメラを向ける。でもいくら言葉で伝えても、写真で見せても、この現実を正しく伝えることはできない。危険も伴う場所なので、全員に押しつけることはできませんが、現地に来て、じかに見て、そして感じてください。

 その後永厳寺経由でボラセンに帰る。石巻港ICによる途中に遺体安置所(旧石巻青果花き地方卸売市場)を通り過ぎる。とくに遺体安置所という表示はないものの、うろ覚えながら事前に名前を聞いていたことや、案内板の雰囲気で遺体安置所と直感。幸い布袍白衣を車内に積んでいたのでお勤めさせていただく。

 ここは受付横に写真が並べられており、向かいのテント内の献花台のような壇にて読経するよう案内される。読経後、写真に手を合わせ世手いただくことに。一人ひとりと向き合い手を合わさせていただく。前回と違い一人で来たのだが、個人的には単独でお参りさせていただくのがしっくりくる。写真からも伝わる厳しい現実。

お風呂内

 写真は「不動の湯」内部。かなり大きい浴槽になっている。

石巻・千人風呂プロジェクト

 称法寺さまでの活動後、1kmほど離れた永厳寺さまに行く。ここではJIM-NETさんが石巻・千人風呂プロジェクトという活動をしている。JIM-NETさんは諏訪中央病院の鎌田實先生や長野の高橋卓志住職も関わる団体。北海道のみなさんも以前から繋がりがある。震災から2週間ほどの頃も医療関係者とのカンファレンスに参加させてもらっている。ボランティア同士の緩いネットワークの重要性も確認された。

 前日に依頼があったらしく、大阪教区からのボランティア4名がヘルプに回る。このボランティア活動のなかでも、被災された方々の生の声を聞ける数少ない場所として大いに注目。お風呂というのは衛生的にみても、感染症の予防になるし、精神的な意味でもこころをほっとさせるものがある。ほっとして思わず苦しかった本音が出る。それを聞かせてもらえるのは大事なことだろうと思う。

 この場所では特にこの時期におけるボランティアの心構えみたいなものが垣間見られた。この時期にはマニュアルのようなものが存在しないため、自分で仕事を探せることが重要になる。なにも指示されていないからと思っていたら、ここではただぼーっと過ごすだけになってしまう。仕事は自分で見つけるもの。お風呂から出てほっとした時に出る一言の本音に耳を傾ける。すごく大事なことであると同時にきつい活動でもあると思う。被災された皆さんはストレスを解放できるが、それは聞く側の心を揺さぶるものだ。自分のなかにため込んでいったらいつか折れてしまう。傾聴する側も複数であったりボラセンでなり、解放することが大切だと感じた。

お風呂プロジェクト

 写真はお風呂プロジェクト「不動の湯」

称法寺2日目

4月14日 松野尾、馬嶋、鹿児島別院より2名

 本日も石巻・称法寺さまにて活動。行きは、1kmほど離れた永厳寺にて活動する大阪教区のみなさんを案内。

 称報寺さまに移動後、前日お願いされた天袋の中の巻物などを運び出す。かなり高い部分なのにここにもパルプが入り込んでいる。本日は住職さまは法務で不在。その間にも何人かの門徒さんが訪ねてこられた。住職さまの親戚の方が応対してくれる。その方が前から気になっているという地下室を見てみることに。

 観音開きのふたは土砂などが詰まって動かない。バールでこじ開けると中は想像以上の広さではしごのような階段が続く。水があると思われるため、恐る恐る降りて行くと思ったより水は引いている。くるぶしぐらいなので問題なし。安心して中にある炊き出し用のガス釜などを出そうとすると、床がふわふわしている。ぞっとした。どうやら水に浮いているらしい。これではいつ抜けるかわからない。しかも目が慣れないせいか中は暗くライフラインが遮断された今は電気もつかない。ようやく目が慣れてくるとどうやら床板だと思ったのは、すのこであるらしい。その下にはコンクリートの床。抜けることはないと安心したが、真っ暗で閉塞感のある場所、足場も悪い中での作業。なによりここで余震が起きたら・・・、小さな津波でも間違いなく死に至る。幸い北海道の方々7名が、帰る前にお手伝いいただけるということで、大人数ならばと11名で人海戦術で運び出す。われわれ4名では安全の確保や作業効率からみてもお断りしていたと思われる。北海道のみなさんに感謝。

 今日も45分の3クールで終了。肉体的にも精神的にもきつい一日だった。

 最後にご住職さまに置き手紙を残し、称法寺さまの活動終了。

 地下室への階段

 
 写真は想定外だった地下室への階段梯子。

 
 

遺体安置所の読経

 称法寺さまでの活動後、遺体安置所(石巻北高等学校飯野川校)にて読経。布袍白衣にて讃仏偈のお勤め。体育館の入口に読経スペース。ここは間もなく高校の始業に伴い、引っ越しするとのこと。作業される方は続けられたが、代表して責任者の方数名が立ち会ってくださった。最初はどんな対応をされるのか不安だったが、丁寧に頭を下げられた。遺体安置所というところがどうなっているのか、想像だけだった部分が解決して一安心。来る前に佐々木さんに陸前高田は坊さんが足りてないと聞いていたが、石巻に関しては大丈夫だった様子。来る前は遺族とともに臨終勤行みたいなものも想定していたり、遺体の前でお勤めみたいなことも考えていたので、勝手が少しわかっただけでも落ち着ける。気持ちも所作も落ち着きのあるほうが心のケアにも繋がるかと考えていたのでよかった。

 16:30頃遺体安置所を出発し、19:00頃にボラセン到着。

 その後ミーティングにて、宮城野区専能寺さまでの常例が涙々で勤まったとのこと。(詳細は震災支援ネット・北海道にて)また南三陸町の避難所の物資搬送のことなどを聞く。

 日向山より称報寺さま

 写真は日和山の高台より称報寺さま

第2陣初日活動

 4月13日 活動報告 
 本日は石巻・称法寺さまにて室内のがれきの撤去・清掃作業を行った。名古屋別院の3名と同行。

 7:30ボラセンを出発。仙台市内~石巻に向かう。市内も高速も大渋滞。自家用車による通勤が多いこと、災害支援の拠点から活動場所へ行く車が多いことなど慣れない運転の方が目立つ。譲り合いの精神がなく我先にと動く様子。愛知県から来た私が思うのだから、かなりのもの。地元の方に聞いた「見た目は普通になっても、こころは震災の時から揺れ動いたままなんです」ということばが頭をよぎる。

 途中、高速道路もうねりや段差があり、急ブレーキなど注意が必要。また途中のPAにてトイレに行かないと現地にトイレはない。石巻港ICを降りてしばらく走り、川を渡るとそこは別世界だった。信号も停止中、途中には仮埋葬と思われる穴を掘っている個所もある。がれきや横倒しになった車、津波のすさまじさを感じる。そこからしばらく走ると少し高台になり、信号も回復。見た目普通の町に戻る。高台から称法寺さまのほうに降りて行くと、もはや言葉にならない風景。報道にも出てくる壊滅的な状況。火災も起こったため、小学校が黒こげになっている。あたり一面、きちんと残っている建物は一つもない。そのなかにぽつんと赤い屋根の本堂が見える。称法寺さまである。奇跡的にここだけは残ったが、そのぶん流されてきたものが、まとわりついて大変な状況。


石巻・小学校
写真は焼け焦げた小学校

 50kmほどの距離を高速を使って到着するのが10時過ぎ。ここから称法寺さまでの活動に取り掛かる。車を止めると前日まで活動していた別院のみなさんから情報をもらう。当初門前までがれきの山だったこと。重機を入れたり、お寺をたずねてくる門徒さんが入りやすいように道を切り開いていったこと。本堂は手をつけられない状態で私たちでは手が出せないこと。会館に詰まっていたものを前日まででようやく片付けたこと。想像を超えた状況に声が出ない。
 作業は前日までの引き継ぎで、衣の箪笥から色衣、巻物など重要なものを出した後に、ヘドロやパルプの掻きだし。近くにあった製紙工場から流れ出たパルプが一面を覆っている。45分活動して15分の休憩。活動は今後も継続していくために5割の力で長く続けるのがモットーとのこと。

 3クール動いてかなり疲れる。14:00過ぎに活動終了。少しずつしか進まないが、一歩一歩。ご住職さまも少しずつではあるが、現場でお話ししてくれたり、心を開いてくれているご様子。
 
 僧侶が現地に行ってがれきの撤去をする。もっと効率的に人のためになることがあるだろうという考えもあると思うし、私も当初はそう感じた。しかし称法寺さまに住職さまはライフラインの断たれた2F部分に留まられ、お寺やお墓を住職さまの安否をを気遣うご門徒や安置所にて遺体の確認をし、葬儀のお願いに来られる方も来院される。そのときに落ち着いて話のできる場所や環境をある程度整えることが、今後のこころのケアにもつながるのではないかと感じられた。


 称報寺さま・遠景
 写真は称報寺さま・遠景

物資について

 私も下着類や栄養ドリンク、電池など持って行きましたが、物資はなかなか難しいです。現地では日々刻々を状況が変化します。極端にいえば、昨日はすごく必要としていたものが、翌日は全くいらなくなり、かえって別院本堂の場所をとっていしまうこともあります。

 一つには国道沿いなどの大きな避難所には企業を中心とする大口の物資提供が行われており、あまっていたり、実際は足りていない場合もあるかもしれませんが、受け付けられない場合もあるようです。この数日で南三陸町や女川町など北部で、国道から外れたより小さな避難所をのコネクションが構築されつつあるようです。そちらは様々な物資をとても喜んで受け取ってもらえるようです。ただこれも必要なものが日々変わるらしいので注意が必要でしょう。

 仙台はショッピングセンターやホームセンターもオープンしていますし、仏婦の方で現地の買出しも考えてくれています。これらを考えると物資を送るより支援金によるサポートの有効性も見えてきます。もちろんこちらから送る気持ちのうえでも、お金だけなんて・・・というのがありますから、いずれかならず需要ができるものに関しては引き続き物資の配送などが欠かせません。現在ボランティアの数も物資の数も震災直後と比較すると減少傾向にあります。長丁場になるのは避けられない状況ですので、引き続きサポートしていくことが重要でしょう。

現地のこと

 すでに名古屋別院から第1陣(3名)が10日から現地入りし、14日まで活動。第2陣で私と馬嶋紹爾くんが12日から15日にかけて現地で活動しました。また第3陣(?)でうちの住職・坊守が現地に軽トラを持って行きました。

 こちらから行くと、車なら東名~首都高~東北道が最短です。那須あたりから道路にうねりが見られます。福島県内は余震、原発、うねりなどはじめての方は緊張感があるかもしれません。(帰る頃には慣れっこになっています)
仙台に入ると通常と変わらない生活が見られ、想像とのギャップを感じられる方が多いと思います。
ガソリンも給油制限はありませんでした。ところどころ休業中のスタンドもあるので注意は必要ですが、ガソリンに関してナーバスになる必要はありません。

 食料品などもよほどこだわらなければ、問題なく手に入ります。またボラセンでは仏婦の方が食事を提供してくださいます。昼食の準備は必要ですが、あとは気にしなくてもよいかと思われます。夕食はボラセンの近所の飲食店はオープンしてますので、経済を回すのもよいかと思われます。牛タン食べられます。
ボラセンは寝袋さえあれば、下に敷くマットレスもありますし、枕も借りられます。現在はボランティアが少ないそうなので、快適に眠れると思います。

 私の滞在中にガスが復旧しました。仙台別院のお風呂は1人用なのであまり現実的ではありませんが、市民の方々が自宅のお風呂を使うであろうと予測されるので、銭湯の時間制限も軽くなるのではと思います。
このため拠点となるボラセンはかなり快適に過ごせる空間かと思います。

ブログ開設しました

 情報の共有化が大切だと思いながら、なかなか進められませんでしたが、このたびブログを開設しました。
東海エリアの動きや現地での活動報告などアップして、声を届けられたらと思います。

 このブログは、情報の提供や報告を開示することによって、ともに活動する個人・団体の活動の参考になればと開設したものです。

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